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2002年1月1日

元旦、朝十時十五分に皇居正門から新年祝賀の儀に参入。

初当選した五年前は、僕と神奈川県会議長だけが白い車で参入し、他の方々はみんな黒塗りだったが、今回はだいぶ様変わりし、シルバーもあれば緑もあり、ワゴンやRV、ハイブリッド車などみなさん多様な車で参入した。

服装の指定は、男子は燕尾服、紋付羽織袴または制服、モーニングコート。女子はロングドレス(帽子、手袋は随意)、白襟紋付(色留袖、訪問着)、黒留袖も可だが白重ねが望ましい。紋の数は随意。または制服、やむを得ない場合は、デイドレス(絹または絹風のワンピース、アンサンブル等)。勲章着用(持っている人だけ)。

 

十一時までそれぞれ議員同士、新年のごあいさつをしながら控え室で待つ。十一時になると両議長を先頭に松の間に移動し、陛下をお待ちする。陛下は、他の皇族方(皇太子妃殿下は今日はご欠席)とご一緒に内閣、国会、裁判所のメンバーが待っている部屋を順番に回られ、ごあいさつを受けられる。

両陛下、皇太子殿下、他の皇族方が部屋に入ってこられるところで、我々は一礼し、両陛下が正面の壇上に立たれる。そこで、侍従から衆議院議長にうなずいて合図があり、衆議院議長が一歩前に出て、挨拶する。さらに、侍従から参議院議長に合図があり、参議院議長が挨拶。両議長の挨拶の始めと終わりに我々も一礼する。

両議長の挨拶が終わると天皇陛下からお言葉がある。陛下のお言葉が終わると、我々も一礼。侍従が陛下の前に進み出て、陛下を先導して、退出。このとき、一礼。つまり、陛下ご入場からご退出まで都合七回の一礼がある。

陛下が退出されると、部屋の後が開いて、お屠蘇の用意がしてある大きな広間に移動する。そこでは、最初に部屋に入った議員から、お屠蘇をつがれるままに頂いて、目の前にある折りに入ったおせちには手をつけず、別に自分の前の小皿に盛られた数の子と黒豆、ごまめをおせちの折りに手早く詰め込んで、杯と折りを白いきれに包んで頂戴して、退出する。ここまで全部で三十分。

 

昭和三十九年総理府告示第十六号勲章等着用規定第三条

勲章を着用する場合の服装

勲章等は、燕尾服もしくはローブデコルテもしくはローブモンタント又はこれらに相当する制服に着用するものとする。ただし、一等勲章以上の勲章の副章、二等勲章以下の勲章もしくは文化勲章、褒章又は記章を着用する場合には、男子にあっては紋付羽織袴もしくはフロックコートもしくはモーニングコート又はこれらに相当する制服に、女子にあっては白襟紋付又はこれに相当する制服に着用し、四等以下の勲章、褒章又は記章を着用する場合には平服に着用することができる。

だそうです。

 

12月31日

下北沢の下北沢本多劇場で、ザ・ニュースペーパーのコメディ、パロディ・朝まで生テレビに出演する。何年か前に銀座の博品館劇場でニュースペーパーの舞台に出たことがあるが、今回のはずっと最初から舞台の上に出ずっぱり。

 

エコノミストの植草さんいわく、十二月になって良いことが二つあった。一つは内親王殿下のご生誕、もう一つは、この平成十三年も終わりに近づいてきたこと。

その十三年が、あーもう終わるというときになって、うちの一番若いスタッフが、ちょっと代議士に話したいことがあるんで。

なんだ、まだ、なんか悪いことがあったのか、と思っていたら、いきなり彼女を連れてきて、来年結婚することにしたんで、仲人をお願いします。終わりよければ全て良し。十三年も良い思い出で終わった。

 

平成十四年がずば抜けて良い年でありますように。

 

12月27日

飛行機に乗ると、前のポケットに機内誌や安全のしおりが入ってますよね。

アフガニスタン行きの八人乗りの国連機にもAinaという機内誌があります。僕が乗ったのは十二月でしたが、2001年春号が入っていました。アイーナというのは鏡という意味だそうです。

目次を見ると、1910年から今日までのアフガン女性の歴史、アフガニスタンを破壊したもう一つの戦い、両足を切断されたアブドルラティフがCDAPのローンでどう人生を変えたか、アフガニスタンにおけるハンセン病、地雷除去作業中に友人と片足を失ったザマライアタエーが再び地雷除去作業に戻るまで、等々。

普通の飛行機ではあまり熱心に安全のしおりを読んだりしない僕ですが、国連機の安全のしおりはキチンと読んで、メモまで取りました。もしあなたがアフガニスタンに行こうと思っているならば、必ず読もう、国連機の安全のしおり!!

 

UNOCHA (UN Office for the Coordination of Humanitarian Assistance to Afghanistan)安全のしおり

 もし、あなたが地雷原かもしれないところに入ってしまったら、ただちに止まって、自分を落ち着かせ、冷静に考えること。まず、自分の仲間に大声で知らせ、それから正確に、自分の足跡の上を戻ること。安全なところに待避することができたら、印をつけ、現地の事務所にすぐ知らせること。

 赤く塗られた石は、地雷原があることがわかっている危険地帯であることを示す。地雷除去作業が終わったときに、その赤い石は白く塗り直される。

 

地雷はどこにあるか?

 人の通らない小道に沿って

 車の通らない道路に

 道路の路肩や小道の脇に

 自動車の折り返しができるようなところに

 暗渠の中やまわり、橋のたもとに

 建物、特に壊れたビル、の壁に沿って

 人の住んでいない建物の玄関先や部屋の四隅に

 井戸の中やそのまわり、水くみ場へ降りていくところに

 壊れた乗り物のまわりに

 人が隠れられるような窪地に

 

地雷が周辺にある可能性を示すサイン

 死んだ動物、とくにロバ、牛、羊、山羊、犬

 小さくて、丸く、規則的に続く穴

 耕された畑の中で、耕されずほったらかしにされている場所

 弾薬箱や薬莢が落ちているところ(戦いと地雷は背中合わせ)

 缶詰の散らばっているところ(兵隊の食糧かもしれないし、地雷の入れ物かもしれない)

 集落のなかで人が使っていない建物

 ワイヤーや小枝が飛び出ているところ

 使われている道路や小道の脇に作られた抜け道

 地面に落ちている信管(ペンのようにも見える)

 小石を積み上げたり、小石を並べて円が描かれたりしているもの

 小石が道路を横切って並べられているとき

 

地雷が埋められているおそれのある地域では

 ちょっとおもしろそうなものや、知らないものに触ったり動かしてはいけない

 見たこともないワイヤーをひっぱってはいけない

 用を足す時でも人通りのある道路をはずれてはいけない

 見たこともない機械をいじったり、石を投げてみたりしてはいけない

 地雷の危険地域では、石から石に飛び移ってはいけない

 自動車で追い越しをするときも、道路をはずれたり、路肩に出てはいけない

 けが人に駆け寄ってはいけない

 現地の案内人なしで、行ったことのない地域に行ってはいけない

 地雷原と思われるところに入ってしまったら、自分の足跡を逆にたどれ

 気になるものを発見したらただちに報告し、周辺に印をつけること

 地雷と思われるものを見つけたら、写真にとって、地雷除去事務所に連絡すること

 自分を信じて、むやみに他人についていかないこと

 新しい地区に行く前に情報を集めること

 心配なときは現地の人に聞くこと

 

ちなみに、国連機内での映画、音楽、機内食、トイレはありません。

 

12月25日

アフガニスタン出張記

12月17日(月)

塩崎恭久、下地幹郎両代議士と一緒に、成田から北京経由でイスラマバードへ。

親というのはありがたいもので、昨日、親父が外務省に電話をして、「うちの近所のせがれがアフガニスタンのマザリシャリフに行くと言っているのだが、状況はどうか」。外務省が「お宅のどら息子のことでしょ」と言ったかどうかはわからないが。

出発前にイギリス大使館からイギリス軍の情報をもらい、現地に人を出しているNGOから事前のブリーフィングを受ける。

 

12月18日(火)

朝、イスラマバードを出発し、パキスタンの北西辺境州のペシャワールへ往復。

ペシャワールでは、12月11日から13日まで東京で開かれたNGOによるアフガン復興会議に出席したアフガンのNGOのメンバーと再会。ペシャワールには、すでにこのアフガン内戦が最初に始まったときからの難民が数多く出ている。ここで一番古い難民キャンプは、二十年も前にできたもので、そこにはもう国連の援助も届かず、スラム地区のようになっていて、治安も悪い。今回の空爆開始後、アフガニスタンからパキスタンに二十五万人が難民として出て、そのうち十七万人がペシャワールに到達した。

シャムシャトという新しい難民キャンプを訪れるつもりだったが、日本の国会議員の一行だということでペシャワールの当局が、中央の役所の許可がないとキャンプへの立ち入り許可を出せないと土壇場で難色を示す。何かあったときの責任を取るのが嫌だということらしい。そうは言われても、ラマダン明けのイードという正月で役所が休みであるため、中央の許可はもらえない。結局、シャムシャトのキャンプ訪問はあきらめる。

ペシャワールには日本のNGOの物資倉庫もあり、パキスタン側の拠点の一つになっている。このあたりからアフガニスタンにかけては、道も悪く、NGOが活動するために四駆の自動車が不可欠だ。日本の各NGOも日本から二十一台の車を海路で送ってきている。しかし、そうした車が、関税の免除措置を受けることができず、十月初めから、カラチとポートカシムの港の倉庫で眠っている。この国では自動車には関税が280%かかるため、関税が免除されなければ、一億円を超える支払いが必要になってしまうのだ。

夜、日本大使館の担当者からアフガニスタン状況についてのブリーフィングをしたいという申し入れがある。しかし、これは全くの時間の無駄だった。本来ならば、日本政府の対アフガニスタン戦略の現地司令部であるはずのイスラマバードの大使館に、アフガニスタン国内に関する情報が何もないのだ。すでにNGOや国際機関の職員、それにマスコミなどかなりの人数の日本人がアフガニスタンに滞在しているのにもかかわらず、日本の外務省の人間は誰一人アフガニスタンにはいないのだ。つい先週、アフガニスタンを担当する中近東二課長がアフガニスタンに初めてはいったものの、宿泊の手配まですべてNGOが面倒をみるありさまだ。外務省がカブールに設置する連絡事務所も日本のNGOの現地スタッフが探して、手配したもの。

大使館は、我々に、延々と、ボン合意と暫定統治機構の説明をするが、新聞の記事のほうが詳しいよ、と言いたいぐらいだった。大使館はマザリシャリフのドスタム将軍とのルートを持っていますか、と尋ねると、イスラマバードにドスタム派の事務所があり、そこと連絡を取っていると胸を張るが、僕らに今回同行してくれるNGOは、既にマザリシャリフに一人駐在し、ドスタム将軍自身の携帯電話の番号を知っていてそれで直接連絡をしている。NGOでもそれぐらいのことをやっているのに、外務省は、一体何をしているのか。

大使館に、カラチの港の四駆の問題について尋ねると、まるで他人事のような返事が返ってきた。外務省にとってNGOというのは所詮、他人なのか。

アフガン復興会議を一月に日本で開くというのに、このありさまで、心底驚く。

 

12月19日(水)

国連の飛行機でイスラマバードからマザリシャリフへ飛ぶ。

 当初はカブールに行くつもりだった我々をマザリシャリフに行かせたのは、NGOだった。カブールでは既にアメリカとトルコの大使館が再開され、22日の暫定統治機構の発足を前に、その他各国がどんどん入っているのに対し、マザリシャリフにはまだ、どこも入ってきていない。しかも、ここを根拠とするドスタム将軍は、カブールの暫定統治機構と距離を置き、多国籍軍の駐留にも反対していると伝えられている。こういう状況で、日本の政治家が入るならば、物見遊山にカブールに行くのではなく、今後のことも考えてこの時期にドスタム将軍ときちんと政治的なパイプを作っておくべきだというNGOの主張は説得力があった。しかも、マザリシャリフから車で五時間のサリプルという町の郊外にある難民キャンプで日本のNGOが活動をするため、まずその場所を実際に見て、ドスタム将軍にNGOの安全確保と活動支援をお願いするのは日本の政治家の仕事として、とても大事なことでもある。

NGOを通して、ドスタム将軍から会見するとの返事はもらっていたが、時間、場所は全く未定だ。この地域では、待ち伏せや暗殺を防ぐために、場所と時間は直前に指定されるのが普通だそうだ。国連機が着いた空港にドスタム派の「外務大臣」とも言うべきサイド・ヌルラー氏が迎えに来てくれていた。ドスタム派の「外務省ビル」で、ヌルラー氏と「副大臣」のヤサ博士と会談していると、今から将軍が会うという連絡が入る。

マザリシャリフ郊外のクーデバルクと呼ばれる場所にあるドスタム将軍の司令部分室で、将軍とお目にかかる。ドスタム将軍は内戦下に、多くの若い兵士を戦いで失ったこと、大勢の子供達が病気で死んでいくのをただ見ているしかなかったこと等のこれまでの経験を熱っぽく語った。

ボン合意による暫定統治機構は、これまでアフガンの各派が払ってきた犠牲や貢献を正確に反映していないが、この六ヶ月はそれを我慢して、これを支えていく。六ヶ月後に作られる移行政権のもとでは、より公平なポスト配分がされることを望んでいると我々に訴えた。さらに、アルカイダやタリバンが市民のなかに隠れているかもしれないから、まだ、アフガニスタンの戦争は終わっていない。だから、多国籍軍の駐留は今後、必要だろうし、多国籍軍にアメリカ軍が入っていても良いではないか。各派が合意できれば、ドスタム派は武装解除にも応じると、非常に前向きな発言があった。そして、日本のNGOの活動に対する支援と安全確保は全力で行うから心配は要らない、だから日本はアフガニスタンの復興のために是非、力を貸して欲しい、特に医療面での支援が早急に必要だとの申し入れがあり、我々もしっかりと政府に伝えると約束した。

この日の晩は、マザリシャリフから西に約160Kmのところにあるシベルガンという町にある、ドスタム将軍のゲストハウスに泊めていただくことになった。我々が空港に着いてからずっと、自動小銃と対戦車ロケット砲のようなものを持ったドスタム派の兵士達が同行して警護をしてくれているが、それでも日が暮れてからの移動は何が起こるかわからないと、あわてて四時頃にマザリシャリフを発って、シベルガンに向かう。ドスタム将軍のゲストハウスは、各部屋が大きく、ピンクのフリルのたくさん着いたベッドカバーがかわいいとしか言いようがないものだったが、夜はしんしんと冷えた。下地代議士は、帽子に手袋、股引をはいて完全防備のつもりだろうが、どうみてもこのあたりの山賊にしか見えない。

 

12月20日(木)

朝、シベルガンを出て、悪路を三時間走ってサリプルへ。

 サリプルの難民キャンプは、最も早い難民は三年前から住んでいるそうだが、今回の戦争で、その数が増え、約四千家族、二万人を超える難民キャンプにふくれあがった。難民キャンプの支援は、上手にやらないと、支援活動自体が難民を作り出してしまうことになりかねない。ジャパンプラットフォームの一環で、ピースウィンズジャパンとセーブザチルドレンジャパンが、テントと食糧の支援等をこの難民キャンプで行う。

 この他に、難民を助ける会が地雷除去と地雷回避教育を、JENが非食糧の緊急支援物資の配布を、BHNテレコム支援協議会がNGOの活動に必要な通信手段の確保を、それぞれアフガニスタンおよび周辺国で実施する。

 三時の国連機に乗るために、サリプルから舗装されていない道も含め四駆でぶっ飛ばすが、途中一台が黒煙を吐いたかと思うと止まってしまう。やはり、新しい四駆が必要だ。結局、四時間かけてマザリシャリフに到着。ところが、とんでもないことが起こった。タリバンが支配していたマザリシャリフの空港は、米軍の爆撃で滑走路に穴が開いている。迎えに来た国連機のパイロットが腕に自信がなかったのか、それを見て、着陸しないで帰ってしまった。取り残された我々は、「外務省」のゲストハウスにお世話になる。

 

12月21日(金)

 同室の塩崎さんに、誰も知らない秘密があった。なんと寝言を言いまくるのだ。最初、大声で「一体、説明責任はどうするんだ!」と突然、怒鳴るので、ぶったまげたが、ご本人はいたってすやすやとお寝みになっていらっしゃる。夜中にさらに二回、一度は三行ぐらいにわたる長ーい寝言。

 国連の全ての機関が集まっているUNハウスに出かけては、国連機を飛ばして、着陸させろと交渉する。なにしろ、我々は国連機をチャーターして、一人往復26万円もお金を払っているのだから、国連は飛ばす義務があるのだが、翌22日が暫定政権発足にあたり、関係者がカブールに終結するため、飛行機が足りない。しかもこの後はクリスマスだから、国連機が足りない状況は、悪くなっても良くはならないだろう。

 滑走路の穴の件で米軍と掛け合うと、昨夜、国際赤十字の飛行機と米軍の輸送機がちゃんとその滑走路に着陸しているのだから、問題はない。パイロットが新米だったのだろうと、米軍は問題ないの一点張り。

 そこで我々としては、一、国連機を待つ、二、カブールまで陸路を走り、そこで国連機の空席待ちをする、三、カブールまで陸路を走り、さらにパキスタンまで陸路で出る、四、車でウズベキスタンの国境を越えてテルミズまででて、そこから空路日本に帰る、五、北部同盟のヘリコプターをチャーターし、カブールまで出て、国連機を待つ、というオプションをあげて検討する。カブールまでの陸路は危険だし、北部同盟のヘリコプターも、同じぐらい危険だろう。ウズベキスタンのテルミズまでは陸路で一時間、しかもその晩にタシケントまで出る飛行機があり、タシケントからはソウルまで直行便がある。これが一番良さそうだが、問題はウズベキスタンの国境でビザが出るかどうか。衛星電話で外務省に連絡し、我々の計画を話してウズベキスタンの国境でビザが出る可能性があるだろうか、と尋ねると、即座に、危ないからマザリシャリフを動かないでください、ガチャン。結局、外国で窮地に陥っても日本の外務省は助けてくれない、ということを再確認しただけ。

 国境までは、ドスタム派の兵士の護衛もあるので、一か八かテルミズまで出ようという意見もあったが、NGOのリーダーが、国連機を待ちましょうという決断をし、一番詳しい彼がそういうのであればと、それに賭ける。飛行機は二時に来るはずだが、一時半になってもまだイスラマバードを出ていない、いや、まだどの飛行機にするか決まっていない等と怪情報が飛びかい、空港でひたすら祈っていると、東の空に飛行機が。昨日のパイロットと違って腕が良かったのか着陸し、それに乗って無事にイスラマバードへ脱出。

 振り返ってみて驚くのが、タシケントからソウルまで直行便が飛んでいること。この地域から日本に帰るには、あちこち乗り継ぎしながらでなければ帰れないのだが、韓国は着々と直行便を中央アジアに飛ばしている。アジアのハブ空港争いは、単に飛行場の施設だけの問題ではない。

 イスラマバードのマリオットホテルで記者会見を開き、その後、部屋で久しぶりの熱いシャワーを浴びる。生き返った。

 

12月22日(金)

 NGOのイスラマバードオフィスを訪問する。みんなイスラマバードの高級住宅街の一軒家を事務所にしている。ジャパンプラットフォームは、旧ビルマ大使公邸、ピースウィンズジャパンは旧インドネシア大使公邸を丸ごと借り上げて、事務所または事務所兼住居にしている。家賃は月に十万円ぐらいだそうだ。どちらの事務所にもきちんとガードがついていて、安全確保はしっかりやっている。

 イスラマバードでは、金曜日が半日勤務、土曜日が出勤、日曜日が全休というのが基本的なスケジュールだそうだが、国連関係の機関は金曜日出勤で土、日を休んだり、なかなか仕事をするにも日程調整が大変そうだ。

 

12月23日(土)

 夜の直行便がとれたので、北京経由で成田へ帰る。

 ピースウィンズジャパンのスタッフのすみこも同じ便で帰るのでよろしくといわれ、てっきり日本人の女性かと思っていたら、筋骨隆々としたクルド人の男性で、大笑い。イラク北部でピースウィンズの現地スタッフとして働いていて、日本に出張したところでクルドの内戦が始まり、祖国に帰れなくなってしまったそうだ。日本で難民認定を受け、日本政府が出している難民のための旅行証明書をパスポート代わりにしている。現物を初めて見せてもらった。日本からどの国に出るにも、いやトランジットをするためにも、必ずビザを取らないといけないため、緊急支援のためにさっと日本を旅立ってというわけにはいかないとこぼしていた。

24日午後遅く、着。

 

 外務省の無力、無気力、無能力を実感する。資源のない日本が生き残っていくためには、身体を張った情報収集が必要だ。イスラマバードの大使館のスタッフがアフガニスタンに行かない言い訳が、なんと飛行機がとれないから。UNの飛行機を自腹でチャーターしてマザリシャリフに入る我々の目の前でそれを言うのだから、あっけにとられる。

マザリシャリフにいるNGOのスタッフに、どういう情報をどのくらいの頻度で外務省に出すのか、とたずねると、困ったような顔で、最初は無償資金課に情報を入れてという話もあったのですが、そのあと何かうやむやになって、結局、今は何も...。

それにくらべて、アメリカの外交は凄い。こんなことがあった。アフガニスタンの国連機関の調整役であるUNOCHAの北部地域のトップと話をすると、アフガニスタンの難民を帰還させるためには、2002年の1月に小麦のタネをまけるかどうかが勝負だ、と言う。もしこの種まきができれば、収穫と同時に難民の帰還を始められる。しかし、この時期を逃すと、2003年の種まき、そしてその収穫まで帰還はできない。だから、なんとかこの一月の間に小麦の種まきの準備をしたい、と訴えてくる。日本は、米なら何とかなるが、小麦となるとどうかな、と答えると、いや、タネは既にアメリカの穀物商社が用意を始めている。アフガニスタンの気候と土地にあうタネをちゃんと選んでもらっている。だから、日本には、それを購入する資金を援助して欲しい。おいおい、ちょっと待ってくれ。それじゃ、日本の金がアメリカの商社のポケットに入るだけじゃないか。アメリカは、アフガニスタンを爆撃しながら、すでに戦争の後に、自国の企業を儲けさせる算段までしているのだ。

我々が訪れたシベルガン周辺は、天然ガスが産出する。もっと北のトルクメニスタンでも同様だ。トルクメニスタンの天然ガスを海に出すには、西に行くルートの他に、アフガニスタンを縦断し、パキスタンで船に積み替えるパイプラインの仮想ルートがある。アメリカはすでに、この次を考えているだろう。同じ時に、日本の外交官は、パキスタンの港の四駆、二十一台の関税免除もできない。

国益のことをシビアに考える国家の外交と人間を考える市民、NGOの外交の両方が、これからの日本には必要だ。しかし、今の外務省は、国家の外交を遂行する能力はなく、市民、NGOの外交の邪魔をする存在でしかない。

 

二十五日に外務大臣、官房長官、総理に三人で報告にあがる。

我々が報告する直前に、外務省の局長や官房長が大臣室と官邸を走り回って、なぜ、四駆が二十一台、港から動けないかの言い訳をして歩いていた。この人達には、もっと大事な仕事があるだろうと思うが。局長などは、この問題を今朝初めて聞いた、と曰い、我々もぶち切れそうだった。しかも、外務省の言い訳は、NGOが書類の提出を忘れていたからだ、という。うそつきめ。

総理にもはっきりと、このままでは一月のアフガン復興会議は成功しないと申し上げる。

マスコミがなんと言おうと、評論家がどう言おうと、総理がどっちもどっちだと言おうと、国民は、外務大臣を支持するべきだ。外務省は腐っている。

外務省の若手よ、戦え。腐っているのは罪だが、腐っているのを見過ごすのも罪だ。

 

12月13日

NGOによるアフガニスタン復興会議の最終日。

三日間の会議の最後に、国会議員有志によるレセプションを開催する。

国会議員主催で、レセプションをやれないかという話が来たのが、もうかなり土壇場。

本当は各党に根回しをして、主催者決めて、うんぬんとやらなければいけないのだろうが、与党は税調、行革まっさかり、野党は東京にいなかったりで、正攻法では間に合わない。えーい、この際、プロトコールはごめんなさいということで、国会議員有志の主催ということにして、来てくれた人がみんな主催者。

塩崎代議士や山本一太参議院議員と手分けして至急のご案内を議員会館で配り歩いたのがほとんど前日。それでも自民党から共産党まで、ほとんどの政党から出席をいただき、レセプションは大成功。ほんとうにみなさまありがとうございました。

NGOからあちらの地域料理がよいというリクエストもあり、会場にはぷーんと良い匂いが立ちこめる。開始時間前にもう到着した丸谷かおり外務政務官に、はい、じゃあ、そこの料理並べて、そしたら次はそのサラダね。猫の手も借りちゃうと言うか、立っているものは政務官でも使え、というか。

ただ、丸谷政務官は、料理嫌いで、結婚当初、料理をしなければいけないというプレッシャーで、台所で失神したという噂があるほどで、ナンとカレーとサラダを並べてて倒れられたら困るな、とは思ったが。ずっと秘書官が心配そーに手元を見ていた。

圧巻は、アフガニスタン在住経験のある松浪代議士。出席議員のスピーチの最後に登場し、アフガンダリ語のスピーチ。アフガニスタン側の出席者がしっかりうなずきながら聞いているのに対し、日本側は、おうおう言いながら、ただ驚く。(あれ、アフガンダリ語でしたよね!?)

 

政府の復興会議に先駆けてNGOの会議を開けたことで、市民レベルの声が、政府の活動計画にも反映されていくだろう。そして、なによりもジャパンプラットフォームがこの会議を企画し、主催し、成功させたことで日本のNGOに対する海外の見方が変わってくるだろう。

よかった!

 

12月11日

アフガン復興のためのNGO会議。

二十七人のアフガニスタンのNGOメンバーが来日。セクター別、地域別の会議をひらく。ジャパンプラットフォームの代表のあいさつでは、現地の人間が後の方で黙っていて、国際機関やら外国のNGOが議論している会議ではなく、その土地の人間がリーダーシップをとる復興につなげていきたい、と。

社民党の辻元さんと並んで、全体会議に参加。

取材しているマスコミの話題は、なんでも、政治家のクレームで、外務省が出すはずだったこの会議の予算に対する支援が出なくなったこと。

 

中国の文ワイ報、人民日報、経済日報、青年報の記者と意見交換会。来年は、中国語をもっとなんとか、と去年も思った。はあ。

 

アメリカの政治学者のインタビューを受ける。議員立法の提案に、国会法にない、四役のハンコが必要だということを、やはり知らない。ええっ、と驚いていた。

質問のテーマは、与党の事前審査。だんだんこの問題が取り上げられるようになったのは、うれしい。

 

太郎塾の忘年会。

ごまめの歯ぎしりのメールマガジンを出版したらどうか、という意見が。太郎塾で分担して、編集してもらおうか、と言うと、フロン法案のところはみんな入れようとか、サッカー関連は落とせないとか...。太郎塾の編集で出版して、印税を太郎塾の予算に回そうか、ということに。

どこか出版を引き受けてくれる出版社はないでしょうか。

 

12月10日

衆議院の外務委員会をずっと務めてきたが、外務委員会の主な仕事が条約、国際協定の批准になっている。もちろんこれは、大事な仕事ではあるが、やや、今の外務委員会の内容は、これにかけるウェートが大きくなりすぎていると思う。

審議にかかる条約は、通常国会で三本未処理になったという例外もあるが、九割方、対決もない、スムースなもの。たぶん、どの条約の批准をスピードアップしていくか、をこれからは、きちんと議論していかなければならないだろう。

 

批准をスピードアップすべき物の一つが、1977年発効の原子力損害の民事責任に関するウィーン条約と1997年に採択された同条約の改正議定書である。

ウイーン条約は、原発で事故が起きたときに、国際的な損害賠償をどうするかを定めたもので、まず、被害者による賠償の請求先を原発の運営者(電力会社など)に集中させ、仮に運営者に過失が無くても責任を取らせる無過失責任原則を定めている。さらに、武力紛争や内乱などの場合を除き、全ての事故の責任が運営者にかかってくるようにしている。天候不順なども例外ではない。

もちろん、国が、国内法で、この運営者をバックアップすることは可能であるが、被害者が相手先を特定しやすくなるための規定になっている。

さらに改正議定書では、最低賠償金額が462億円と規定されている。

日本は、もとのウイーン条約にも、改正議定書にも入っていない。今のままでもし原発の事故が起き、海外に被害が及ぶと、原発の被害に関する賠償について定めた現行の原賠法が国外にも適用されるか、定かではない。もし、裁判所の判決が否となると、海外の被害者は民法による裁判を起こさなくてはならず、立証責任は被害者側に発生する。とても、原発事故の過失責任の立証はできないだろう。

それよりも、日本の周辺に、原発が増える傾向があり、KEDOの枠組みで、北朝鮮にも新たな原発ができる。日本の周辺国は、ほとんどこの条約に加入していないため、まず日本が率先して入り、中国、韓国、あるいは台湾、北朝鮮にも加盟を促す必要があるだろう。

 

遺伝子組み換えをめぐるカルタヘナ議定書をはじめ、日本にとって重要だが、批准がまだ、という条約がいろいろと残っている。重要な積み残し条約の批准準備を促していくのも外務委員の重要な仕事になってくるだろう。もちろん、それを進めなければいけない外務省の人員の問題も解決していかなければならないが。