東チモール出張報告 制憲議会選挙監視
ピースウィンズジャパンの大西、大石、金丸、山内の各氏およびインターナショナルスタッフのみなさま、浦元ユニセフ東チモール事務所長に厚く御礼申し上げます
日時 2001年8月28日−9月2日
場所 東チモール、インドネシア
同行者 塩崎恭久代議士(団長)、塩崎哲也氏
便宜供与 インドネシア出入国時の入管およびジャカルタ市内の交通手段、ジャカルタの現地NGO訪問の手配
日程
八月二十八日
10:55 成田発
20:10 デンパサール着
八月二十九日
09:40 デンパサール発
12:30 東チモール ディリ着
15:00 ピースウィンズのプロジェクト視察
シェルター、ブロック・家具製作プロジェクト、コミュニティホールづくり
19:30 杉浦外務副大臣主催レセプション
21:00 日本のNGOとの意見交換
八月三十日
08:00 選挙監視 リキサ県バザルテテ区ファトマシ村投票所
10:30 ユニセフの学校修復プログラム視察 ファトマシ村
14:00 選挙監視 エルメラ県ライラコ区リフ村投票所
15:00 ピースウィンズのコーヒープロジェクト視察 リフ村
19:00 ユニセフ並びにユニセフ議連主催夕食会
八月三十一日
09:00 セルジオ・デメロUNTAET代表と会談
10:30 UNハウス訪問
11:30 シャナナ・グスマン氏の事務所訪問
13:10 デンパサール発
20:00 ジャカルタ着
20:40 竹内大使主催ユドヨノ調整相、外相他との夕食会に合流
九月一日
09:30 PDI−Pメンバーと意見交換
15:30 アウリア(現地NGO)訪問
16:00 ジャカルタ市内北部のスラム訪問
19:00 現地日本企業との意見交換
23:30 ジャカルタ発
九月二日
08:30 成田着
特記事項
日本のNGO、ピースウィンズより、国会議員もNGOの活動の最前線を見るべきだという提案を受け、自民党外交部会国際NGO小委員会の塩崎小委員長と一緒に、制憲議会選挙が行われる東チモールで、選挙監視活動と同時に日本のNGOの活動の実態を見ながら、さらにユニセフ議連の代表として、東チモールのユニセフの活動を視察することになった。また、東チモール議連の選挙監視活動の分遣隊のようなことにもなった。
東チモールでは、民兵などの脅威は全く感じられず、投票日に何か騒動が起こる可能性は、現地のほとんどの人間がこれを否定していた。事実、投票日当日は、きわめて平穏であった。
マラリア、デング熱の脅威は、さかんに聞いていたため、徹底的に防御したが、現地に長期滞在している外国人は、かかったら直せばよい程度の認識で、非常にリラックスしていた。事実、外務省、NGO、国連機関のいずれにいってもマラリア、デング熱に本人、または同僚がかかったという話を良く聞いた。日本脳炎のような伝染病もあるらしい。
実際に東チモールで動くと、マラリアよりも山道の方が怖い。片側、あるいは両側が絶壁の山道を、車で飛ばし、あるいは対向車とすれ違うのは何とも言えないスリルがあった。雨期には、道はもっとひどくなるだろう。
PKOあるいは選挙管理委員会に日本の存在感が全くなかったのは、極めて残念だった。実態的には、カンボジアなどよりも遙かに安全であり、各国、各国際機関が、頭では憲法上、法律上の理由で日本がいないということを理解をしていても、心では、納得できていない様子がうかがえた。
しかしながら、制憲議会選挙が平和裏に終わった今、日本がPKOを送ることに意味があるのだろうか。UNTAETは、日本のPKO参加を積極的に押し進めようとしているが、日本のPKOを人質にして、さらなる援助、資金提供が真の狙いではないかとも思える。少なくとも、もっと積極的に選挙管理委員会(監視団ではなく)に関与すべきだった。
東チモールに対し、今後、日本が、どの程度の関与をしていくのか、まずきちんと冷静に議論して、枠組みを決めていく必要がある。東チモールは、援助に依存した独立をすべきではないし、日本にとっての国益はまずインドネシアの安定にある。
経済を別にすれば、東チモールが直面する最大の問題は言語の選択である。これは、東チモール人が決めることであり、他からとやかく言うことではないが、あえて、言うならば、現在のポルトガル語を公用語にしようという流れは間違っていると思う。
ポルトガル語は、かつての植民地の支配国の言語であるが、東チモールが今日、東チモールであるのは、今日東チモールと呼ばれる地域がかつてポルトガル領であったことが最大、唯一の理由になっている。人口の10%以下しかポルトガル語を話すことができず、年齢が高い層、かつ、かつてのエリートしか話さない。最近の二十五年間は、ポルトガル語は教育では全く使われず、若者は話すことができない。現在、小学校の一、二年生はポルトガル語で授業を受けることになっているが、ポルトガル語で教えられる教師の絶対数は足らず、教科書も非常に高価格である。フレテリンおよび教会がポルトガル化を強力に支持している。
インドネシア語は、この二十五年間教育に使われ、東チモール人のかなりの人間がインドネシア語を話す。この二十五年間に大学を卒業した人間は、インドネシア語で高等教育を受けている。教科書だけでなく、あらゆる方面の書籍がインドネシア語で発行されていて、他の言語と比べ、非常に安価に手にはいる。現在、小学校三年生以上はインドネシア語で教育されている。東チモールで必要になる日用品の大多数は、インドネシアから購入することになり、インドネシア語は、すくなくともそういう面においては、必要な言語であり続ける。
しかし、もちろん政治的支配層は、軍事的な併合とあの虐殺に結びつくインドネシアの言葉を東チモールで公用語とすることに感情的に大きく反発をする。一般の東チモール人にとっても好ましい選択ではないはずだが、これまでの二十五年間、教育を受けてきた言語を引き続き使うことにどれだけの抵抗があるのだろうか。
テトゥン語。現地にいくつかある固有の言葉の一つだが、教会がミサに使ってきたこともあり、現地では一番広く理解されている言葉。古典的なテトゥン語は、数割程度の人しか話せない。しかし、ポルトガル語の単語を取り入れた現代的なテトゥン語は、広く使われている。ただし、抽象的な概念に関する言葉が元々無いので、ポルトガル語の単語をたくさん使っていること、辞書もないこと、テトゥン語の書籍は極めて限られていること等、広く政府の公用語として使うには問題が山積み。ちなみにテトゥン語で、ありがとうはオブリガードとポルトガル語の単語を使っている。もともとテトゥン語にもありがとうという言葉はあったのかもしれないが。教育担当の暫定官僚の説明では、単語の半分は今やポルトガル語から来ているらしい。
英語。東チモールは通貨に米ドルを使うことになるそうだ。政治的なリーダーも、これからは英語が国際的な共通語であり、道具として英語が使える必要は高いことを認めている。文化的な価値云々ではなく、全く純粋に、国際的な道具としての広がりから言うと、ポルトガル語よりも英語の方がはるかに役に立つわけで、東チモール人が、西洋語を学ぶならば、ポルトガル語をやってから英語をやるよりも英語をまず学べばよいのではないか。
外国の人間がとやかく言うことではないのは百どころか万も承知で私の個人的な意見を言わせていただくと、東チモールでは、家庭でのテトゥン語のほかに(それ以外の現地語もある)、教育にはインドネシア語を継続して使い、道具としての英語を取り入れる、ポルトガル語は、教養としてやったらいかがか、ということだろう。
現在の流れからいくと、テトゥン語が国語、ポルトガル語が公用語になりそうだが、若者対かつての独立運動の指導者達の世代間の争いにつながりかねない。
選挙は投票用紙に政党の旗が載っているのが比例代表。候補者の顔写真が出ているのが小選挙区。鉛筆で印をつけるか、釘で穴をあける。結構釘で穴を開けた投票用紙も多い。
前回の独立を決めた投票について、あれはややおかしかったのではないかという意見をジャカルタで聞いた。あの投票は、ハビビ大統領が提案した特別自治を受け入れるかどうかということだったのだが、投票用紙には、東チモールの地図の上にインドネシアの国旗が書いてあるものと東チモールの地図の上にフレテリンの旗が書いてあるものの二つが並べてあり、どっちかを選択するというものだったという。東チモールの人にとってフレテリンの旗は日頃親しんでいるもので、インドネシアの国旗とどっちにより親しみを感じるかと言えば、フレテリンの旗になる。提案されている特別自治がどんなものだったかを知っていた東チモール人はほとんどいなかった、という。
今回の選挙についてもシャナナ・グスマンを大統領に選ぶ選挙だと思っていた人が非常に多く、NGOが今回の選挙は大統領選挙ではないという教育活動を一生懸命にやっていたほど。
東チモール人の意見ではないので、どの程度的を得た意見かどうかはわからないが、こうした意見も考慮して、選挙のあり方を考えねばならないだろう。
東チモールよりも北の地域の島で、台湾出身の旧日本軍の軍人がやはり戦後二十何年ジャングルに隠れて住んでいたということがあったようだ。島民に親しまれ、塩などの必要品を島民に分けてもらっていたらしい。横井さんや小野田さんなどと同じぐらいの期間隠れていたことになるらしい。
UNTAETのデメロ代表はこの選挙の結果を受けて、最大与党(つまりフレテリン)に組閣を要請することになると我々との会見で述べていた。他の議席を得た政党からも閣僚が任命される事を期待している、と。また、今度の閣僚はこれまでと違い、若く、東チモールにずっと住んでいたような人物も多数閣僚になるべきだとのこと。これまでの閣僚は女性が少なかったため、今度の内閣は三分の一は女性にしたいと述べている。閣僚のなかの一人をチーフミニスターに任命することも考えている。今度組織される内閣は、独立後もリーダーシップを取るはずだと認識している。大統領就任が確実視されているシャナナ・グスマンについては、デメロのシニアアドバイザーに任命し、防衛問題と開発問題を担当させるそうだ。少なくとも十二月までには、第一次の中期開発計画のドラフトの提出を求めるという考えでいる。独立前の最後の支援国会議で、中期開発計画を承認してもらう考えでいる。シャナナ・グスマンは大統領になるまでに、しっかりとオフィスに毎日来て働くことを学ばなくてはならないというのがデメロの認識。グスマンが趣味のカメラをいつもかかえてところ構わず写真を撮りまくるのはそろそろ止めなくてはと笑っていた。(デメロ代表に会った後、グスマン氏の事務所を約束の時間に訪ねると、アシスタントの女性が出てきて、急用で会えなくなった、本当に申し訳ないとひたすら謝られた。)
UNTAETに関しては、当然独立後も残ると強調。警察は2004年半ばまで、財政関係はかなり長期、医療と司法に関しては、二年から五年残る必要があると認識。
現在の日程で行くと大統領選挙が雨期のさなかになるので、これが心配だとのこと。
UNTAETの独立後の位置づけに関しては、ディリの国際コミュニティの中でもいろいろな声があった。
UNTAETが雇用確保の場になっているとの指摘があった。バングラデシュ等からPKOに来ている兵士にとっては、母国に帰るよりも国連のPKOにいる方が給与が数倍高い。本音では、東チモールの状況に関わらず、UNTAETの活動期間をなるべく引き延ばしたがっているグループが存在する。国際NGOの中には、国連も予算削減でリストラが進む状況であり、UNTAETが終了するとリストラの対象になる人間がかなりいると声高に言う者もある。こうした意見を持つ人は、デメロが独立後もかなり長期にUNTAETが残ることを前提にしていることに極めて批判的である。これから日本が東チモールにPKOを出すということは、こういう活動の資金を提供することになる。
一方、現状で東チモールの新政権が即座に活動を開始できるとは考えにくい。しばらくの間、外国の手助けが必要だ。しかし、それが現在の国連活動をベースにする必要性があるとはおもえない。NGOの中でもいろいろな専門性を持っている組織もあり、もし、その方がコストが安ければ、全て国連でなくとも良いはず。
この問題は、日本もしっかりと日本のスタンスを議論して決める必要がある。感情に流されてはいけない。そして、日本の立場が、日本の金となって、あるいは金にならずに、東チモールでの国連の活動を左右する。
東チモールでの大きな問題が健康問題である。WHOはマラリア撲滅のためにマラリア原虫を肝臓を含め体内から一掃する薬の使用を計画中。しかし、この薬を使うと激しく体内で出血する遺伝的体質が存在する事が知られている。この遺伝的体質は、女性にはない。地域によって男性の1%から25%がこの体質である。WHOは、東チモールでサンプル調査を行い、この遺伝的体質を持つ人間の割合が5%以下であれば、このプロジェクトを実施することを検討している。残念ながらこの薬で全てのマラリアを退治できるわけではなく、特定のマラリア原虫にだけきくそうだ。
去年、シアトルで、スターバックスコーヒーが出したシェードグロウンの有機栽培コーヒーというものを入手した。有機栽培というのはわかるが、シェードグロウン(shade grown)とはなんぞやと思っていた。この東チモールに来るとシェードグロウンとは何かよくわかる。この島には、ポルトガル人がコーヒーを持ち込み、山岳地帯に植えた。その時におそらくアカシア科の木を一緒に持ち込んで植えた。アカシア科の木が高く育ち、枝が広く茂り、木の下に陰を作る。コーヒーの木は、その木によって陰になるところに育つ。木の陰で育つからshade
grown。熱帯のコーヒーは、放っておくと日の光を浴びどんどん光合成をして育つが、育ちが早いと味が締まらずおいしくないそうだ。shade grownは、木の陰で日光が遮られ、ゆっくりと成長する。さらに、標高数百メートルから千数百メートルと高いところでコーヒーが育つため、朝夕に気温が下がり、さらに成長はゆっくりとなる。だから、有機栽培で、標高が高いところでshade
grownの東チモールコーヒーは美味しいはずだという。ピースウィンズが、このコーヒーの実から皮をむいて、発酵させ、干して、という一連のプロセスを現地の農民に協同組合を作らせて、支援していくプロジェクトを実施している。残念ながら、まだ、工程での品質管理が確立されていないため、海外市場に出せるレベルの品質を作れず、現地での販売にとどまっているようだ。最大の問題は、皮むきが手作業に毛の生えたような機械で行われているため、ここでの品質が一定にならない。品質を一定に保つためには、この工程に手作業にならない機械を導入する必要がある。コーヒーは、東チモールの専管経済水域で産出すると言われる石油と天然ガスを除けば唯一の輸出産品であり、今後のプロジェクトの行方が期待される。
日本のNGOの活動に関して、現場を知らなさすぎたことを実感。今回は大変有意義だった。外務省の活動、ODAの実際の流れ、国際機関と日本政府の関係など、今回指摘を受けたことを、実際に一つずつチェックしながら、見直していきたい。ピースウィンズ、ユニセフ、そして、ジャカルタでNGOを一緒に訪問してくれた鶴岡公使に感謝。